しくじるは恥だが役に立つ、あるいは上手な指摘の仕方

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 少し前に、「正しさハラスメント」という記事が話題になってました。

先日、珍しく時間を持て余していたので、テレビを見る機会があった。 バラエティ番組を見るつもりもなく、また、10分ほどだったので、回したのはニュースチャンネル。そのときの題材に「不寛容社会」というものがあった。 何かと繊細な昨今、運動会での組体操でのピラミッド禁止や、除夜の金に苦情がきたために日中におこなうなど、ノイジー...

 察するところ、「初学者がノッってるときに無粋なことを言うもんじゃない」ということなのかなと思います。わかるわ…

 この話見たときにちょうど最近読んだ「」って小説家もののマンガで、ラノベをかいてみた程度の普通の子にアドバイスを求められた超天才の主人公が「言葉で伝えるの難しいから私も書いてみたって悪気無く全力で折りにいくエピソード思い出した。

(「響 ~小説家になる方法~」より)

 …しかし、それが身近でクローズドな環境ならモチベーション大事とかでいいんですがインターネッツに公開されたならそうもいかない。いやむしろ身近な環境のほうがなおさら、指摘してあげないといけないのかもしれない。

 そういうことを考えていくと、じゃあどうやって指摘して/指摘されるのがいいのかというところに行き着いたので、いろいろ聞きかじったこととかを合わせてちょっとまとめてみたいと思いました。

 ただこれ自分で気をつけていることまとめみたいなものなので、これについても賛否あるかもしれません。まあ、そこはそれ、ということで。

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事実のみを指摘する/指摘されているのは事実だと受け止める

 まずなんで人に間違いを指摘されてイラッとするかというと、自分が攻撃されていると錯覚するからです。しくじると恥ずかしいのは普通そうなので、そこを突かれることで心が防衛に回ってしまうのでしょうか。

 なので、指摘する場合はどこがどう問題なのかということだけ、指摘されたときもこれは間違いを教えて貰っているだけ、というところに話の焦点を絞るといいのかなと思っています。

 このあたりのことを考えていると、「組織の中で問題があった場合、犯人捜しをしない、原因と対処だけに絞ってやるとよい」という話を思い出しました。そうすることで目的が明確になって誰かを追い込むことがなくなるのかなと思います。

 そして間違ってもやってはいけないのは、「これだから○○は」のような間違いと関係のない、相手の人格や経歴などの属性に口を出すことです。逆にそういう話になったら自分がミスったとか関係ないからキレていい。

理解できているレベルからの筋道を説く/理解できているところまで話を戻してもらう

 先の記事にあったように、初学者にモダンなコードがどうとかセキュリティがどうとか言ってもわからないものはわからない。

 こればかりは積み重ねであるので仕方ないと思います。

 なのでそれを語るなら相手がどこまで理解してるかを確認して、そこから言いたいところまでの話をダイジェストにでも説明しながら簡易的に積むようにしています。

 そして聞く立場で理解できなかったら、自分がどこまで理解しているかを伝えて、そこから積んで貰うようにするとよいと思います。

 そのときには、聞いた話を「こういうことですか?」と自分なりにまとめて聞き返してみるとより捗ります。そうするとどの程度理解できているか、相手にも伝わりやすい。

 またこの理解の話についてはですね、正解がない場合もあるかもしれません。言ってしまえばプログラム、結果的に動けば正義なところがあるから。

 どんなモダンでセキュアなコードよりも納期に間に合って動いているスパゲティのほうが価値があるという側面はあるのですよね…(震え声

 なので、方法として微妙でもひとまず動いている場合、それに(個人的な)不満があっても「まあそれでいいならいいけどね」って態度を取ることがあります。これがいけない。

 自分のほうが詳しくて、問題と感じている場所があるならちゃんと詰めるべきです。これはむしろ初学者相手ならなおさら。だって不安を煽るだけじゃない。

 逆にこういう態度を取られたら、「じゃあ○○さん(言ってきた人)ならどうするのですか?」という質問をぶつけてみると良いのかなと思います。というか言ってやればよかった。

 …これについては被害者でもあり加害者でもあるみたいなところがあるので、僕としても何かあったら「それならそれでいいですけど、こうしたほうが良いとは思いますよ」と付け加えるようにしたいと思ってます。(いや、最終的に決めるのは責任と決定権を持っている人なので、それならそれでいいとしか言えない時はありますよねとは…

人前で指摘しない

 「褒めるときは大勢の前で、叱るときはこっそりと」というやつの類型です。当人に伝えるだけで済む話ならそうしたほうが絶対にいい。

 でも、技術的な問題の共有とかだとそうはいかない場合もあるのがつらいところです。ネット上の記事なんかはそれに対して指摘を入れると自然と公開されたりもしますし。

しくじるは恥だが役に立つ

 そして何より、間違いをそのまま披露し続ける羽目にならなかったことに感謝をしないといけないです。スペルミスとか読み方みたいな単純なものから方法論まで、あえて教えてくれる方は素晴らしい。

 逆にそれを見過ごして放っておくのであれば、その人はそれに気づくまでずっと間違いを晒し続けることになります。これは初学者のモチベーションがどうとかいう話ではない。

 言われたそのときはお互いちょっとバツが悪いかもしれないけど、「教えてくれてありがとう」くらいの軽い感じで教えあいができると、さらによい世界になるのではないかと思います。

 また初学者の教育みたいな話になるなら、それには段階があるというのも自分で気がついたことのほうが勉強になるというのも確かなので、特に害がないなら「やってみました!」みたいな記事はそっとしておいてもいいかもしれません。ケースバイケースってやつです。

 何にせよ、わざわざ指摘してくださる方は親切な方だとは思っています。屈っっっ っ! てなるけど。

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