Pixivからの小説引用問題の周囲で、二次創作と自由について考えを整理してた


※本サイトはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています。
 ページ内のリンクがアフィリエイトリンクの場合があります。

 先日より、Pixiv内においてR-18指定で公開されていたBL小説が論文のネタにされたことが騒ぎになっています。

 これについては、そもそもBLに詳しくないので立命館やらかしたか大変だなあくらいの感じでした。しかし話が進んでいくうちに2点、考えを整理しておきたいことが出てきましたのでここに書いておきます。

R-18小説を論文のデータにしたことに対する考え

 まず、そもそもの発端である、論文にR-18小説がデータソースとして使われたことについての考えを述べておきます。

 ただ、私は問題の論文も読んでいませんし、リストアップされていたBL小説の内容も知らないことは先に断っておきます。もう取り下げられてしまっているので…

 

 さてデータとしての使用についてですが、これは法律的には問題ないとは思います。

 著作権法32条の1には「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない」とありまして、研究のデータソースに使用することは、引用の範囲で大丈夫でしょう。

 また、揉めているのもそこ(データソースとして使われた)ではないとも思います。

 

 では何が問題だったのか。R-18のBL小説をリストアップして論文に載せてしまったことによる、作者および周囲への影響ではないかと思います。

 もともと、それこそPixivのR-18に公開範囲を限定していたもの、特定の人にしか見せたくないと思っていたものについて、予期せぬ場所で名前を出されてしまったことが問題だったのだと思います。

 この事件の直後に非公開にしてしまった方も多い、といった話もあり、そちらのほうに大きな影響を与えてしまった点が、今回の騒ぎを大きくしているのではないかと。

 

 また言葉として「有害」を使用したことにより、排除するべきものとして定義した点を問題視している話もあります。でもこちらはあまりメインで騒がれてる感じではないように見えます。論文としても、単に行政などがよく言ってる単語を使った程度の軽い気持ちだったんだろうなと思います。(だから良いとは言いませんが

 

 しかし、「引用」の要件として、また論文の再現性のためにデータソースを明示することは必要になるのではとの指摘もありまして、論文の対応が全く間違っていたわけでもないのですが。結局、いろいろと配慮が雑だったから起こった不幸な事故みたいな感じに捉えています。

 現在は論文が非公開にされ、Pixivが立命館に問い合わせを行っているとのことなので、そちらが良い方向に行けば良いなと思っているくらいです。

 

 このように事件そのものについては自分の中で答えが出ている感じなのですが、この関連として出てきた話題で、もやっと思っていることがあります。

「Pixiv=二次創作=グレー=実質違法=何をされても黙ってろ」みたいな雑な論立てがクソ

 ひとつはこれ。まず以下の2つのサイトを見ていただけると話が通りやすいかと思いますが。

 立命館大学の研究者による「pixiv論文」の論点とは──“晒し上げ”批判はどれほど妥当なのか

 「pixiv論文」に絡む、著作権的にグレーなものは他のいかなる権利の侵害も訴えられないのか? という疑問

 上が今回の批判に対しての記事で、私がおかしいと思っている、二次創作云々と言っているところがあります。下がそれに対する意見まとめです。

 この問題に対して、「データとして論文が使うのも駄目だ」みたいな話もなくはなかったです。(それは法律上は問題なしとしたうえでのモラルの話でしたが)

 で、まあそこで沸いてくるのが、「二次創作で著作権違反している奴が文句付けるな」って感じの反応。

 

 いや、まあ、一つ問いたいんですが、この問題にそれ関係あります?

 そもそも、じゃあその論文が、オリジナル小説をデータとして使っていたとしたらどうですか?

 おんなじ調子で、「お前も騒がれると拙いだろう、黙ってようや」とは言えませんよね。

 

 件の記事にも、「今回研究対象となった投稿作品は、その多くが「二次創作」と呼ばれるものだった」とありますので、逆にいえば二次創作ではないものもあったわけですよね。それらについてはどうなのでしょうか?

 (こう書くと、もしかしたら「Pixivというプラットフォームが二次創作で~」みたいなふうに話を広げるかもしれませんが、同じことです。完全オリジナルR-18BL小説プラットフォームがあったとして、そこに対して同じ事をしたらどうよって話です)

 

 「同人=二次創作」とされるのも「二次創作=全て実質著作権違反」とされるのも間違いです。

 前者はいわずもがな、オリジナル作品も多くあります。

 後者については少し複雑で、グレーゾーンと呼ばれるので実質違法だと見なされているところがあるのかもしれません。

 ですがこの場合のグレーゾーンは実質違法ではなくケースごとに蓋を開けてみないと白黒が確定できないためそう呼ばれているところがあります。なぜなら、著作者が許可した二次創作は黒ではないからです。

 多くのケースでは確認を取ったら駄目だと言われるでしょうから、大雑破な認識として問われたらアウトだがお目こぼしをされている、は間違ってないと思います。

 でも今回のように法的に引用がどうとか出てくる細かい話のなかに、そんな雑な認識混ぜ込んでくるのはどうなのか。もし分かってやっているのだとしたら、とんだレッテル貼りですよね。

 (余談ですが、この「デフォルは黒だが許可されたら白」である状況を、「デフォルトは白だが権利者にとって不利益なものは黒にする」にしようとしていたのが同人マークです)

 

 その批判対象が、本当に二次創作に絡んでいるものなのかどうか。「二次創作が云々」って話が出てきたら、その問題の対象になっているものをオリジナル作品に置き換えてみて、それでもその批判が通るかどうかを考えてみると良いのではないでしょうか。

 

 それはそれとして、上の話は著作権法が親告罪であることを前提として話しています。

 もしこれが非親告罪であれば、その二次創作BL作家さんたちは腹いせに通報されててもおかしくはないのではと感じますね。

 「非親告化は気に入らない作家を黙らせるために使われる」って話がリアルに感じられます。TPPのときに、「非親告化は海賊版に限る」と制限が入ったの本当にGJと言わざるを得ない。

 警察権力を拡大させることは、人が人を攻撃する方法を増やすことにも繋がります。基本的には拡大させないように、致し方ないとしても慎重に限定していかないと後から大変厄介なことになる恐れは常にあります。悪徳権力者ではなく、「正義の市民」の手によって濫用されて。

「お気持ち」と自由の制限について

 こちらは主に自分の考えの整理です。

 立命館Pixiv事件、学問の自由が抑圧されるのを憂慮する意見

の後半、terakei07氏の意見について。特に「ふだん「お気持ちへの配慮」からなんらかの言論や表現に対する自由を制限することに批判的な人が、この件に関しては全く同種のロジックで吹きあがっているのはいったいどういうことなんだろう。」のあたりですね。

 話の中に「明日少女隊」が出てくるので、碧志摩メグへの批判について想定しているのだと思います。

 で、それぞれに対する私の意見ですが。今回の論文問題については論文側が何らかの配慮をした方が良い、碧志摩メグについては別に公認でも問題なかった、とのスタンスです。

 しかしこの二つの話は、確かに構図的には同じに思えます。両方とも「手続きとして問題なかったが外部から批判され、結果として批判された側が折れた」件であり、批判された側についてた人達は(学問の/表現の)自由を主張しているところまで一緒です。しかし私は一方では批判する側、もう一方では批判される側が良いと考えています。なぜなのか。

 

 いろいろ考えてみた今の結論としては、「どの対応がベストかはケースバイケースであり、一概にはいえない」です。何をするにしても、良いと言う人と悪いと言う人は出てきます。

 手続き(法律など)をクリアした後であれば、どのくらいの案配で意見を飲むかはバランスでしかないのかなと。

 そのバランスラインが「アマチュアBL作家の名前を論文に載せるのはちょっと…」であり、「行政が萌えキャラを公式に使ってもいいじゃない」であることに、矛盾はないと思います。

 

 まあ、件のツイートで言われている「お気持ち」ベースの考えですね。構図を見て矛盾を感じていましたが、そもそもそこで戦ってなかった。

 例えば9割の人が嫌だと、違うと思うことを通すのが本当に良い結果になるのか。逆に、9割が嫌だと言っていることでも、押し通すことが良い結果になる場合もあるでしょう。

 これは「どちらが正しいか」について話をしているわけではなく、「どちらがより良いか」についての話かなと思います。

 

 しかし、そうは言っても二次限エロマンガ絶対殺すマンみたいに、相手の「お気持ち」がこちらにとって絶対呑めない条件になっている場合もあります。そういった決着がつかないときの根拠として、法や手続きをクリアしている、だから問題ない。憲法に定められた表現の自由がある、だから許されなければならない。と弁を振るうことになるのではないかと思います。

 だからそこは最低ラインとして、その上でどのあたりにバランスを取るか、って話になるのでしょうか。

 

 そしてね、一つ前例を作って譲ってしまうと、そこからさらに踏み込まれてくるから、この論文引用は問題ないことを問題ないと認めさせようとしている人達の気持ちも分かるのですよ。

 

 

 自分で書いてて結構いい加減だなあって思います。原則としては、自由を許す方向に振っていくべきだとは思っていますが。

 でも振り返って今回の論文引用問題は、BLを潰したいわけではなく、研究データとして使用したかっただけに見えるので。何か配慮してトラブルが避けられるのであれば、それが良いのではと思います。

 

 あと「お気持ち」って揶揄した感じになってますけど、そもそも人が発する意見である限りはすべて「お気持ち」じゃないんでしょうか。「法で許されているところまで(何らかの)自由になるように配慮すべき」と考えるのも、ひとつの「お気持ち」じゃないんでしょうか。

 

 それから、理論だってなくても嫌なことを嫌だと言うことは間違ってないとも思います。喩え引用要件が成立していようとBL作家さんが嫌だというのは自由だし、法的に公開して問題ない絵でも行政が使うのは嫌だと言うのも自由です。もちろん、その意見に対して賛否が出るのも自由です。

 

 私がこの問題ですげー嫌だと思ったのは、主に二次創作の指摘を用いてお前らに嫌だと言う権利がない、みたいな雰囲気を出そうとされてる感じを受けたからかもしれません。

最後に、研究データとしての使用について

 そもそもの論文がやろうとしていた(と思う)AIによるフィルタリングなどの研究そのものについては、これからのフィルタリングやゾーニングに有用なものだと思います。

 また機械学習などでそれらの成果を出すためには、きっと膨大なデータが必要になってくるはずです。

 なので、こういった研究にどこかの著作物が引用されることは、今後も出てくるでしょう。

 今回の件がどういった形で着地するかは分からないのですが、それこそ引用を萎縮しなくて済み、引用されたほうも泣かなくて済む落としどころがあると良いと思っています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました