表現規制と経営判断の境目


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 ミニストップが成人向けを撤去する話で経緯を説明する熊谷市長の投稿もありましたが、やはりまだ賛否両論のようです。

 

 表現規制にはもちろん反対していきたい気持ちはありますが、この件に関してはそこまで強く詰めるべきなのか態度を決めかねています。

 もし千葉市が条例などで強制的に禁止をしていたら、それは明確な表現規制と言えると思いますが、コンビニが女性客向けの判断などを理由に商品の取捨選択をした結果、成人向け雑誌を扱わなくなることを表現規制と呼び糾弾するのは、あまりしっくりきません。

 コンビニに「なぜ成人向け雑誌を撤去するのか」とクレームを入れることはいいと思います。お客さんが単純に「なぜこの商品が無いのか、扱ってくれないのか」との要望を伝えるのは自然なことです。

 でもそれを表現規制の問題とするのは、何か話がずれている気がしています。

 意見の中で「コンビニのトイレは公共物ではないからそれを理由にするのは間違っている」と書かれたものを見かけましたが、その筋で言うなら「コンビニは公共施設ではないから表現の自由に配慮して商品を並べる必要もない」とも言えるのではないかとも思います。

 (ただし社会的責任を語るならば、環境に配慮することと同様に、憲法に書かれた表現の自由に配慮することも必要ではないかとも思いますが)

 

 しかし今回は「行政が禁止とは言っていないが配慮するように求めたことを企業が自主的な経営判断として推し進めた」ような状況で、事実上の表現規制とも取れるし、ただのきっかけに過ぎなかったとも言える微妙なところになっているところがややこしい。千葉市内だけではなく全国で対応してしまったこともまたややこしい。

 

 ミニストップ以外のコンビニは別に何もしていないところから、千葉市からの圧力みたいなものはそんなに強くなく、ミニストップ(イオン)側としても単にきっかけだったんだろうなと個人的には思っています。(逆に、これを理由に他のコンビニが不利益を被ることがあれば、間接的な表現規制だと考えられます)

 でもこれを表現規制の実績みたいに推進派が利用してくることを考えると、反対したい気持ちも分かりますし、自主規制等によって流通から消えることが、事実上の表現規制に繋がることも理解できます。なので「扱わなくなること」に表現規制反対の立場からクレームをつけることはスタンスとして正しいのかもしれません。

 

 もやっとしていたので書いてみたらまとまるかと思ったらもやっとしたまま終わりました。このくらいの温度感の人も居るということでひとつ。

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